logo

Column

Kiyomi Ishibashi:Cinema! 石橋今日美

2016/01/22

The Walk『ザ・ウォーク』

  “Because it is there!”
 なぜエベレストに登るのか?という問いに対するジョージ・マロリーの伝説的な答えは、実在の人物、フランスの大道芸人フィリップ・プティにも通じるだろう。なぜ危険な場所で綱渡りをするのか?なにが違法の綱渡りに駆り立てるのか?人々の「なぜ」、「どうして」の疑問に、彼は答えるだろう。「そこにタワーがあったから」と。高い建造物に張られたワイヤーの上の命綱なしの綱渡り。誰も登頂したことのない山のように、身ひとつで到達されたことのない高みに挑み続けるプティに、理路整然と説明できる動機はない。正確には「理由はない」のだ。1974年、プティは当時世界一の高さを誇ったワールドトレードセンターのツインタワーの間に張られた、地上411mの高さのワイヤーの綱渡りを実行に移す。『ザ・ウォーク』は、単なる大道芸人を超えたパフォーマーのプライドとチャレンジし続ける強靭さ、途方もないスケールの野心と情熱を持つフィリップ・プティの半生と、狂気めいているとさえ思われるツインタワーのプロジェクトの発端から計画実行までを描く。プティに関しては、本人や関係者が出演し、証言をよせるドキュメンタリー長編『マン・オン・ワイヤー』(2009年)が先行して存在しており、天空のアーティスト本人と関連する人物たちに肉迫しているのは、純粋に情報量の観点からも、実在の人物の証言や再現映像を用いたドキュメンタリー作品である。ロバート・ゼメキス監督によるフィクション作品は、『マン・オン・ワイヤー』やプティの著作『雲に届くまで』を参考に、冒頭からカメラ目線で当時を回顧しながら観客に語りかけるプティのシーンを随所に配し、デジタル視覚効果を駆使して、ツインタワー上空の綱渡りを観客に追体験させようと試みている。

  商業映画作品におけるVFXの利用は、これまで見たことがないもの、これまで映像化されたことがないもの、未見・未知なるものの描写の至上主義に駆り立てられるように押し進められてきた。監督ロバート・ゼメキスは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『永遠に美しく…』、『コンタクト』など、数々の作品で視覚効果のエポックメイキングな使い方を見せてきた。本作では、アメリカ映画にとって長らく「負の記念碑」、トラウマティックなシンボルだったツインタワー上空に最新のVFXで挑んでいるが、視覚効果のスリルは文字通り「手に汗握る」感覚を呼び起こすには一歩及ばない印象を拭えなかった。まず、プティの自らの体験をめぐる語りの場面は、当然ながら命がけのチャレンジに成功「した」ことを前提に挿入され、綱渡りのクライマックスに向けて高まってゆくはずのスリル、作品の主要パートの「いま、ここ」の時の流れの緊迫感をそこなってしまう。当時の摩天楼の空中からの風景を細密に再現し、物理法則に逆らわないリアリティーを保ちながら、ヴァーチャル・カメラならではのアングルから綱渡りを描いているが、例えばプティ役のジョセフ・ゴードン=レヴィットが出演した『インセプション』(クリストファー・ノーラン監督)の潜在意識の映像世界、時空間の構築に比べると、新鮮な驚きやインパクトに欠ける。未知の領域を切り開くべく用いられてきたVFXの過剰さに馴致した観客には、リアルさの配慮からほぼ完璧にコントロールされた、抑制のきいた表現は物足りなく映る。映画の時空間への挑戦は、もっとスリリングではなかったか。1898年、リュミエール兄弟が発明したカメラを撮影者が抱え、エッフェル塔の上昇するエレベーターからトロカデロ広場を撮影したモノクロの短い映像は、現代の映画から見ると技術的には「素朴」そのものだが、上昇運動にともなってカメラマンの眼下に展開するイメージには、どこか見る者の感性をひやりとさせる生々しさ、「いま、ここ」の迫真性がある。

 本作では、タイトルにもなっている肝心の綱渡りのスペクタクル性に過度な期待を寄せず、そこにいたるまでのプティの奔走ぶり(NYでのスパイのグループのようなプロジェクトチームの編成や、オープン前のツインタワーに変装して何度も忍び込み、現場をリサーチするエピソードなど)と希代の天空のアーティストのパーソナリティーを素直に楽しみ、「作品」が仕上がったあとの彼のあり方に思いを馳せるべきなのかもしれない。悲痛なニュース映像として世界中に拡散したワールドトレードセンターの記憶/イメージに、映画が新たな希望を託した作品としては興味深い。

『ザ・ウォーク』
The Walk
2015年/アメリカ/123分/2D,3D

1月23日(土)、全国ロードショー

【キャスト】
ジョセフ・ゴードン=レヴィット(フィリップ・プティ)
ベン・キングズレー(パパ・ルディ)
シャルロット・ルボン(アニー)
クレマン・シボニー(ジャン=ルイ)
セザール・ドムボイ(ジャン=フランソワ)
ジェームズ・バッジ・デール(ジャン=ピエール)

【スタッフ】
監督:ロバート・ゼメキス
脚本:ロバート・ゼメキス、クリストファー・ブラウン
原作:フィリップ・プティ『マン・オン・ワイヤー』
製作:スティーヴ・スターキー、ロバート・ゼメキス、ジャック・ラプケ
製作総指揮:シェリラン・マーティン、ジャクリーン・ラビーン、ベン・ワイズバーン
音楽:アラン・シルヴェストリ
撮影:ダリウス・ウォルスキー
編集:ジェレマイア・オドリスコル
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

Back