オーストリアの鬼才ウルリヒ・ザイドルによる「パラダイス3部作」
オーストリア映画というと日本ではまだまだ認知度が低いかもしれない。『ピアニスト』『愛、アムール』などがカンヌ国際映画祭で高い評価を受けたミヒャエル・ハネケが、今日では最も名の知られた現役のオーストリア出身の映画監督だろうか。もちろん映画は国境を越える。オーストリア映画のみならず現代映画のあり方に一石を投じるような作品(ドキュメンタリーとフィクション)を送り出しているのがウルリヒ・ザイドルである。4年をかけて制作された「パラダイス3部作」は、ある家族の3人の女性が、それぞれの幸福、この世の「楽園」を追求しながら休暇を過ごす3つの物語からなる。
『パラダイス:愛』
(原題PARADISE: Love/2012年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品)
3部作の第一作目『パラダイス:愛』の主人公はウィーンで自閉症患者のヘルパーをしている50代のテレサ。離婚して10代の娘メラニーを一人で育てる彼女は、姉アンナ・マリアに娘を預け、ヴァカンスをエンジョイしようとケニアのビーチリゾートにやってくる。眩しい陽光のもと、青い海と白い砂浜が輝くリゾートで、テレサが出会ったのは、「シュガーママ」と呼ばれるヨーロッパの白人女性観光客を相手に「愛」を売って生活費を捻出する現地の黒人青年「ビーチボーイ」。「シュガーママ」である友人のすすめで、テレサは「ビーチボーイ」への誘惑に屈してゆく。
『パラダイス:神』
(原題PARADISE: Faith/2012年ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞)
3部作の二作目にあたる『パラダイス:神』のアンナ・マリアは、ウィーンでレントゲン技師として働きながら、テレサのようにヴァカンスに出かけることもなく、カトリック教徒としての日々を過ごす。賛美歌を歌い、人々の罪をあがなう鞭打ちの苦行に励み、聖母像を抱えて移民の多い郊外のアパートを訪問して布教活動に打ち込む。イエスとともに彼女なりの平穏を保っていた日々も、突然の夫の帰還で打ち破られる。2年間の沈黙の後、家に戻った夫ナビルは車椅子でエジプト人イスラム教徒。異教の夫に、妻は容赦なく無慈悲な態度をとる。宗教と結婚に修復し難い亀裂が入った夫婦の争いはエスカレートし…
『パラダイス:希望』
(原題PARADISE: Hope/2013年ベルリン国際映画祭コンペティション部門正式出品)
『パラダイス:愛』のテレサの娘、13歳のメラニーにフォーカスした3部作の完結編『パラダイス:希望』。オーストリアの山奥でオーバーウェイトのティーンたちが集まるダイエット合宿に参加したメラニー。運動と食事制限に縛られた合宿生活の中でも、子供たちは監視の目を盗んで、バカ騒ぎをし、おしゃべりで盛り上がる。メラニーの関心は、40歳ほど年の離れた合宿所の医師に集まり、初めての恋心を抱く。仮病を使って、彼に接近しようとするメラニーに、医師は戸惑い、距離を置こうとする。
幸福の追求の深淵
3部作、特に第一部と第二部を特徴づけるのは、ある「過剰さ」と「幻滅」であるように思われる。『パラダイス:愛』のテレサは、離婚を経験後、恐らく日常生活では異性との出会いもなく、久しく恋愛の高揚感を味わっていない。甘い言葉で彼女にアプローチするリゾート地の「ビーチボーイ」たちは、そんな彼女に、愛の甘美さを思い起こさせる。しかし、関係が進展すると、家族のために、という口実で金銭を求められ、ずるずると応じてしまう。割り切った「遊び」という感覚が持てないテレサの過剰な恋愛の幻想と欲望は、より深い孤独と屈辱感に転じることになる。
妹のテレサとは対照的に、一見ストイックに布教活動に励むアンナも、「敬虔な」カトリック信者という形容には収まらない「過剰さ」を発揮する。彼女にとってキリスト像によってイメージ化される神は、精神的に傾倒する偶像、「アイドル」であるばかりでなく、文字通り自らの体を鞭打ち、身も心も捧げて充足感を得ようとする対象である。信じることが、計り知れない広がりを持つ、欲することと混同され、アンナを突き動かしている。エネルギーが過剰であればあるだけ、現実世界の「仕打ち」に対する「幻滅」は増大する。
ドキュメンタリー/フィクションの境界を越えて
「セックス観光」、人種問題、倒錯した信仰、中年男性と少女をめぐるタブーなど、文字に集約するとスキャンダラスでグロテスクとも受け取られかねない題材を扱いながら、ザイドル監督は体当たりで幸福を追求する主人公たちを鋭敏な観察眼で、(ブラック)ユーモアを交えながら描き出している。『パラダイス:愛』のテレサが「ビーチボーイ」に自分のバストの説明をするシーンをはじめ、『パラダイス:神』のアンナの鞭打ち、ダイエット合宿に集まった肥満体のティーンたちの体など、身体性に対する独自の感性と表現が際立っている。ドキュメンタリー作品も手がけている作り手ゆえに、というのはやや安易な解釈かもしれないが、撮影を行う土地や場所、カメラの前の人間存在そのものにインスパイアされながら(決まった台詞が記された脚本がなく、俳優は即興で演じるなど、オープンな方法論“ウルリヒ・ザイドル・メゾッド”が採られている)、色彩のバランスやフレーム内の事物のフォルムやラインなどを熟慮した精緻な構図も印象的だ。ここでは登場人物のエモーションを強調するような無用に派手なカメラの動きは見られない。創造主(監督)が自らの創造物をじっくりとまなざすような被写体へのアプローチがとられている。
どんなドキュメンタリー作品にもフィクションの要素があり(編集というプロセスひとつとっても、ドキュメンタリー作品が作り手の意図をまったく介さない、「ありのままの現実」を映し出すということはない)、フィクションにもドキュメンタリーの要素があるが、本3部作ではアマチュアとプロフェッショナルの俳優を大胆に起用したキャスティングの妙と、それぞれの個性を存分に引き出した演出にも、フィクションとドキュメンンタリーの魅惑的な揺らぎを見出すことができる(必死に夫婦関係を修復しようとする『パラダイス:神』の夫に扮するのは、マッサージ師でマルチリンガルな旅行家ナビル・サレー。また主人公メラニーをはじめ、『パラダイス:希望』の少年少女たちは全員アマチュアである)。ここには観客の理想を最大公約数的に満たすような「美しい」女優たち、あるいは容易に「個性派」「演技派」とカテゴライズされるようなヒロインはいない。時には心に痛いほど生々しい彼女たちの性=生のエピソードは、人間存在の欲望のあり方に新たな視座を与えてくれる。
2月22日(土)よりユーロスペースほか、全国順次ロードショー
パラダイス3部作 PARADISE Trilogy
『パラダイス:愛』 PARADISE: Love
オーストリア・ドイツ・フランス/2012年/上映時間:120分
【キャスト】
マルガレーテ・ティーゼル(テレサ)
ピーター・カズング(ムンガ)
インゲ・マックス(インゲ)
『パラダイス:神』 PARADISE: Faith
オーストリア・ドイツ・フランス/2012年/上映時間:113分
【キャスト】
マリア・ホーフステッター(アンナ・マリア)
ナビル・サレー(ナビル)
『パラダイス:希望』 PARADISE: Hope
オーストリア・ドイツ・フランス/2012年/上映時間:91分
【キャスト】
メラニー・レンツ(メラニー)
ジョセフ・ロレンツ(医師)
【スタッフ】
監督:ウルリヒ・ザイドル
脚本:ウルリヒ・ザイドル、ヴェロニカ・フランツ
撮影:ヴォルフガング・ターラー、エド・ラックマン
音響:エッケハルト・バウムング
美術:アンドレアス・ドンハウザー、レナーテ・マルティン
衣裳:ターニャ・ハウスナー
編集:クリストフ・シェルテンライプ
制作: Ulrich Seidl Film | 共同制作:Tat Film, Parisienne de Production
配給:ユーロスペース