『自由が丘で』あるいは、ささやかな僥倖
食べて、飲んで、語り合い、酔いつぶれる。セックスをし、散歩をし、出口の見えない関係に迷い込む。ホン・サンスの映画に登場する男女は、基本的に同じアクションを繰り返す。アクションは反復されるが、既視感による退屈や倦怠はない。私たちが日々の繰り返しを送りながら、まったく同じ日を生きることはないように、ホン・サンスの作品はいかにも映画的でドラマティックな事象や大上段に構えた映像表現を回避しながら、それぞれに唯一無二の魅力をたたえている。シンプルで愛おしい。そして人間存在の愚かさえ、優しく見つめ、包み込むようなおおらかさと包容力。ロングショットとズームの多用というシグネチャーの表現手法は健在に、新作『自由が丘で』はささやかでスウィート、見終えた後に心の中で何度も反芻したくなるフィルムに仕上がっている。
本作の場合、そのささやかさには、上映時間の短さも含まれる。長尺のシリーズものの物理的拘束に徒労感を覚えることも少なくない昨今、67分(ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でお披露目された際のクレジットは66分)という上映時間は僥倖である(もちろん、形式だけが先行する作品では意味がないのだが)。作品の長さだけでなく、時間性は本作の構造に関わる特徴のひとつとなっている。年上の韓国人女性、クォンへの想いを断ち切れず、ソウルにやってきたモリ(全編、英語で語る加瀬亮。劇中、彼が持ち歩く文庫本、吉田健一著『時間』は偶然にも俳優本人の私物だったという)。しかし、クォンとの再会はかなわず、彼女にあてた日記のような手紙をしたためる。作品は書かれた順番が分からなくなってしまった手紙を読むクォンと、彼女を探すモリの滞在中のエピソードを、時系列をシャッフルして見せてゆく。きわめて日常的な出来事も、時間軸が断片化され、順序が入れ替わることによって、思いがけない感情の高まりやサスペンス、悪意のない残酷さが生み出される。A→B→C…と観客の想定に難くない起承転結のロジックに収束しない時の流れが、シンプルな出来事に豊穣なニュアンスを与え、作品全体が繊細なきらめきを放つプリズムのように輝く。カフェ「自由が丘」の女性オーナー、ヨンソン(モリとクォンとの間に危うい三角関係を読み取りたくなる)、モリが宿泊するゲストハウスの女主人、その甥で同じゲストハウスに寝泊まりするサンウォン、堪能な韓国語を話す外国人… モリがぎこちない英語で話す登場人物たちも、ヒーローや悪役など容易に割り切れない個性を発揮し、一期一会の出会いを豊かに彩る。彼らの会話を通して、見る者は「今、ここで」を共有する幸せを体験するだろう。
明快さと慧眼
「明快さはホークスの天才の証だ」とジャック・リヴェットはハワード・ホークスの『モンキー・ビジネス』について評したが、『自由が丘で』の明快さはホン・サンスの慧眼を証明する。テーマや表現手法の難解さで見る者を眩惑させる「偽の名作」とは対極にある作品というべきだろう。長編デビュー作『豚が井戸に落ちた日』(1996年)以来、名だたる国際映画祭の常連となりながら、飄々と自らのスタイルを極めるホン・サンスは、シンプルであることの複雑さを爽快に体現してくれる。
『自由が丘で』 HILL OF FREEDOM
12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開
韓国/2014年/上映時間:67分
公式サイト: http://www.bitters.co.jp/jiyugaoka/
【キャスト】
加瀬亮(モリ)
ソ・ヨンファ(クォン)
ムン・ソリ(ヨンソン)
キム・ウィソン(サンウォン)
ヨン・ヨジュン(ゲストハウスの女主人)
イ・ミヌ(グァンヒョン)
チョン・ウンチェ(家出娘)
【スタッフ】
監督・脚本:ホン・サンス
製作:キム・キョンヒ
撮影:パク・ホンニョル
編集:ハム・ソンウォン
音響:キム・ミル
音楽:チョン・ヨンジン
配給:ビターズ・エンド