「欲望とは、他人の欲望である」
人はどこまで自らの欲望に忠実であることができるのだろうか。何かを欲しい、何かをしたいと思ったとき、その「何か」はどこまで「自己完結」したものなのだろうか。角田光代の同名ベストセラー小説の映画化『紙の月』を見ていると、そのような疑問がうずまいた。
ヒロイン梅澤梨花(宮沢りえ)は、銀行の契約社員として営業の仕事をしている。一軒家に夫(田辺誠一)と二人暮らし。一見、「何も不自由のない」生活を送っている、とストーリー上は要約することができるが、「不自由のない」が意味するところは、個人の価値観、感性によるものだ。少なくとも「不自由のなさ」というファサードの裏、梨花には横領に走るようになった心の「不自由さ」があった。それが何かを特定することは難しい(梨花が14歳の時の募金のエピソードがすべてを裏付けるとしたら、彼女は思春期からまったく進化のない女性ということになってしまう)。夫婦間のすれ違いを描こうという意図は見られる。妻は腕時計を夫に贈るが、夫にとって国産ブランドの時計は安物としてしか映らず(後日、夫は経済力ではかなうことができないと言わんばかりに、カルティエの腕時計を誇らしげに妻に贈る)、自らが得たお金で贈り物をした彼女の気持ちは受け入れられない。夫婦の間に子供がいないことに関して、夫は比較的無関心で、不妊治療なども軽くとらえてきた様子をうかがい知ることができる。しかし、それだけでは、あるいは仮に心理的背景を問わないにしても、梨花が顧客のひとり、裕福な独居老人(石橋蓮司)の孫、光太(池松壮亮)に惹かれる場面には物足りなさを覚えた。すぐれた映画は3ショットあれば、男女がどうしようもなく惹かれ合う瞬間を、見る者の心が震えるリアルさで描くことができる。本作では、地下鉄の構内を借り切った大がかりなロケを敢行しているが、梨花と光太の間に鮮烈な化学反応を感じ取ることができなかった(梨花がショーウィンドーの中の真っ白なコートに「一目惚れ」するシーンには説得力があるのだが)。
欲望の果ての自由
光太との逢瀬を重ねるたびに、顧客のお金に手をつける梨花の行為はエスカレートしてゆく。さまざまな意味で彼女を「支配」してきたお金を操る万能感、陶酔感がそこにはあったのかもしれない。同時に何とも言えない物悲しさが漂う。中年女性が若い男性に「貢ぐ」という図式のせいではない。自分にとってワンアンドオンリーであるはずの存在のために、その人と時間を過ごすために横領したお金は、高級レストランやスイートルームへの宿泊やスタイリッシュなマンションの家賃などに消えてゆく。テンプレート化されたwish listを見ているような寂寥感。どこまでが梨花自身が欲したものなのだろうか。そのこと自体に彼女が多少なりとも自覚的であっただろうことは、不正行為が銀行側に発覚した作品終盤に分かってくる。「偽物」だと気づいていながら、刹那的にそれを追い求めてしまう、一種倒錯的な解放感。「紙の月」というタイトルに込められた想いが明らかなる。腐りかけた果実の美しさではないが、梨花が真に自らの欲望と向き合う存在の迫真性とスケールを発揮するのは、横領が発覚して社会的には転落してゆく過程においてだ。前半部では、田辺誠一と宮沢りえというカップリングを、男女として意識し合えなくなる夫婦として見ることは困難なのだが、その映画ならではの非現実性は、ラストに向けて疾走しながら堕ちてゆくヒロインの例外的な美しさにはふさわしい(原作には登場しない、小林聡美演じるベテラン行員とのキャラクターのコントラスト、追う/追われる関係は、ストーリーテリングの上で非常に効果的)。男女関係と横領という行為においては、欲望の途方のなさや奔放さを実現できなかったという意味で、マリー・アントワネットにはなれなかった主婦は、断罪の時において飛翔する。
「紙の月」 PALE MOON
公開中
日本/2014年/126分/カラー
公式サイト:http://www.kaminotsuki.jp
【キャスト】
宮沢りえ(梅澤梨花)
池松壮亮(平林光太)
小林聡美(隅より子)
大島優子(相川恵子)
田辺誠一(梨花の夫)
近藤芳正(井上佑司)
石橋蓮司(平林孝三)
【スタッフ】
監督:吉田大八
プロデューサー:池田史嗣、石田聡子、明石直弓
原作:角田光代
脚本:早船歌江子
撮影:シグママコト
美術:安宅紀史
音楽:Little moa、小野雄紀、山口龍夫
主題曲:"Femme Fatale" ヴェヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ
編集:佐藤祟
配給:松竹
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