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Column

Kiyomi Ishibashi:Cinema! 石橋今日美

2015/04/14

Inherent Vice『インヒアレント・ヴァイス』

© 2014 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC, AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC ALL RIGHTS RESERVED

 ピンチョンx ポール・トーマス・アンダーソン、一世一代の出会い


 Inherent Vice ―― 直訳すれば「内在する悪」。耳元から甘い毒をたらし込まれるような、ゾクゾクする言葉。一般的には物質に最初から存在する欠陥や不備など、物や状態の劣化や不都合を招いてしまうネガティブな性質(the tendency of material to deteriorate due to the essential instability of the components or interaction among components)を指し、保険会社や運送会社にとって保険の支払いを拒否する要因、疲労亀裂や錆びといった「固有の瑕疵(かし)」を意味する。ポール・トーマス・アンダーソンがトマス・ピンチョンの『LAヴァイス』をフィルムにした『インヒアレント・ヴァイス』は、最初でそして恐らく最後のピンチョン作品の映画化になるだろう。ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)とトマス・ピンチョン。一世一代の組み合わせに、ホアキン・フェニックス、オーウェン・ウィルソン、リース・ウィザースプーンら垂涎のキャスティングを実現した本作は、PTAの新作を待ち望んでいた者にはこの上なくエキサイティングな事件そのものだ(PTA作品のことなので、坂本九からCANの「Vitamin C」、The Markettsの「Here Comes the Ho -Dads」まで、サウンドトラックの選曲にも抜かりがない)。


「ラリってノワール」――村上春樹が冗談まじりに提案した邦題(1)が想起させるように『インヒアレント・ヴァイス』の物語は、探偵小説・犯罪映画のジャンルに相当する。マリファナを常用する私立探偵ラリー・“ドック”・スポーテッロ(『ザ・マスター』でPTAとの相性の良さを証明し、本作ではむさ苦しいアフロ風ヘアとひげを完全にものにしているホアキン・フェニックス)のもとに突然、失踪していた元彼女シャスタ・フェイ・ヘップワース(初めての大役となるキャサリン・ウォーターストン)が現れ、依頼を持ちかける。シャスタが交際中の既婚男性の妻にも愛人がおり、二人は共謀してその男性、不動産王を表舞台から葬り去ろうとしているという。確実な報酬があてにならないきな臭い大富豪の失踪事件ではあるが、シャスタの依頼をむげに断ることができないドックは調査に乗り出す。そこからは本作に起承転結がはっきりとマークされた分かりやすいストーリー展開を求めることは無意味に近い。


© 2014 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC, AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC ALL RIGHTS RESERVED

 きらびやかな無秩序とはかない甘美さ


 フローズン・バナナを頬張るロス市警の警部補“ビッグフット”(「チョットォ、ケニチロー、ドウゾォ、モットォ、パンケークゥ」とリトル・トーキョーの食堂でパンケーキを注文するジョシュ・ブローリン)、ドックが頼りにしている弁護士ソンチョ・スマイラックス(ベニチオ・デル・トロ、)死んだはずのミュージシャン、コーイ・ハーリンゲン(オーウェン・ウィルソン)、謎の帆船「ゴールデン・ファング(黄金の牙)」とコカインが大好きな歯科医ドクター・ルーディ・ブラットノイド(マーティン・ショート)etc., etc… 事件が事件を呼び、点と点はまっすぐな線を結んで収束することはない。予備知識なし、初見で本作のストーリーを「理解」するのは困難であることは、『重力の虹』の新訳を手がけたピンチョン文学の専門家、佐藤良明氏も触れている通りである(2)。逆に言えば「レジュメ」を拒絶するピンチョンの原作の奔放なエネルギーと想像力に匹敵する世界をPTAが実現した結果であり、下手な縮図や「縮小再生産」は必要ない。ピンチョン作品と通じる一種の癒し難い悲哀や哀感、あり得ない状況から発生する底抜けの笑い、醒めないと思われた悪夢が不意に途切れたときの汗ばんだ覚醒の感覚。60年代のカウンターカルチャーのパワーが権力の抑圧と出会い、革命の夢の残滓の中、転換点を迎える時代特有の不穏なムードは、シャスタがドックの元を不意に訪れる冒頭の青とオレンジ色の光と影から濃厚に漂っている。ドックのアパートがあるゴルディータ・ビーチの海は、スクリーンいっぱいに映し出されない。建物のフレームに切り取られ、物悲しいブルーの一部が垣間見えるだけだ。


 きらびやかな無秩序を堪能するような本作において、初々しいばかりの恋愛感情が描かれるシーンは予期せぬ悦びであった。ドックとシャスタがまだ交際していた頃。手持ちのマリファナが切れてしまった二人は「葉っぱ」を求めて外に出る。雨の舗道を走り、無邪気にはしゃぐ恋人たちに、ニール・ヤングの「Journey Through the Past」。パラダイスが崩れ去る寸前のはかない甘美さが横溢する。惚れた女、それも最高の女に対する男の弱み、失われた愛の対象へのノスタルジーと諦めきれない心。込み入った迷宮においてもエモーショナルな訴求力にぶれはない。どちらかというと「マッチョな」大作が続いていたPTAだが、『パンチドランク・ラブ』の甘酸っぱさの暴走を思い出さずにはいられなかった。

 

(1) http://www.welluneednt.com/entry/2015/01/26/073000

(2) http://sgtsugar.seesaa.net/article/412221248.html#more


『インヒアレント・ヴァイス』INHERENT VICE

4月18日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田ほか全国公開

配給:ワーナー・ブラザース映画

2014年/アメリカ/149分/ビスタサイズ


公式サイト http://www.inherent-vice.jp

© 2014 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC, AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC ALL RIGHTS RESERVED


【キャスト】


ホアキン・フェニックス(ラリー・”ドック”・スポーテッロ)


ジョシュ・ブローリン(クリスチャン・F・”ビッグフット”・ビョルセン警部捕)


オーウェン・ウィルソン(コーイ・ハーリンゲン)


キャサリン・ウォーターストン(シャスタ・フェイ・ヘップワース)


リース・ウィザースプーン(ペニー・キンボル地方検事捕)


ベニチオ・デル・トロ(ソンチョ・スマイラックス弁護士)


マーティン・ショート(ドクター・ルーディ・ブラットノイド歯科医師)


ジェナ・マローン(ホープ・ハーリンゲン)


エリック・ロバーツ(マイケル(ミッキー)・ザカリ・ウルフマン)


ホン・チャウ(ジェイド)


マーヤ・ルドルフ(ペチュニア・リーウェイ)


サーシャ・ピーターズ(ジャポニカ・フェンウェイ)


マイケル・ケネス・ウィリアムズ(タリク・カーリル)


ジーニー・バーリン(リートおばさん)



【スタッフ】


監督/脚本/製作:ポール・トーマス・アンダーソン


原作:トマス・ピンチョン


製作:ジュアン・セラー、ダニエル・ルピ


製作総指揮:スコット・ルーディン、アダム・ソムナー


撮影:ロバート・エルスウィット


美術:デイビッド・クランク


編集:レスリー・ジョーンズ


衣裳:マーク・ブリッジス


音楽:ジョニー・グリーンウッド


配給:ワーナー・ブラザース映画


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