ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、待望の日本公開
しんしんと雪が降る中、閉ざされた室内に流れる沈黙、灰色の曇天、凍てつくような寒さ。ヌリ・ビルゲ・ジェイランの『雪の轍』を見ることは、皮膚に、脳裏に、ねっとりとまとわりつくような重さと閉塞感、人間存在の残酷さを耐え抜く体験である。同時に感性を不意打ちする美しさに目を見開き、瞼の裏のあたたかさに、かすかな希望を感じ取る体験でもある。世界遺産のカッパドキアにひっそりとたたずむホテル・オセロのオーナーで元俳優のアイドゥンと、アイドゥンの資産をもとに慈善事業に打ち込む、若く美しい妻ニハル、離婚して実家であるホテルに戻って暮らす妹のネジラ。裕福な暮らしを送る彼らの平穏と退屈は、ひとりの少年がアイドゥンの車のガラスに投じた一石によって揺るがされることになる。少年は、アイドゥンへの家賃を支払うことができず、家具が差し押さえられた一家の主イスマイルの子供だった。
美しい馬、ある光への信念
作品の舞台となる場所には物理的な空間の広がりはあるものの、限られた登場人物たちは閉ざされた室内で、お互いを追いつめるような会話を交わすため、舞台劇のような濃密さが漂う(チェーホフの3つの短編が作品のインスピレーションになっているという)。イスマイルの弟ハムディがアイドゥンに謝罪するいくつかの場面では、富める者の貧しき者に対する無意識のグロテスクさ、傲慢さが発露する。不動産の管理などは他人に任せ、地元の新聞に連載されるエッセイを書く日々を送るアイドゥンは、悠々自適な生活を送っているように見える。しかし、妹や妻との会話から浮かび上がってくるのは、俳優として、より名を馳せて、周囲の期待に応えていたかもしれない自分と現実とのギャップであり、鷹揚さの仮面の下で、それを否認し続けてきた生の苦渋である。経済的に恵まれない者に対する夫の横暴さをつぐないに行ったはずのニハルも、自らのおごりと偽善を致命的に突きつけられることになる(ドストエフスキーの『白痴』を想起させる息詰まるシーン)。存在のやりきれなさが重苦しく募る中で、アイドゥンが入手するも、結局乗りこなすことができない野生の馬の映像—カッパドキアとは「美しい馬」を意味する—が、主人公の心象風景と土地の空気感を雄弁に伝え、ダイナミックな魅力あふれる作品のアクセントとなっている。
「生きるとは、壊れていくことだ。言うまでもない。」監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランが引き合いに出す、人生は崩壊の過程であるというスコット・フィッツジェラルドの言葉は、容赦なくアイドゥンのあり方と呼応する。安直な再生への希望はない。しかし、色を失ったかのような世界にも、心を震わせる光は差し込む。本作はそんな光への信念でもあるような気がした。
『雪の轍』 原題 : Kış Uykusu | 英題: WINTER SLEEP
6月27日(土)より、角川シネマ有楽町および新宿武蔵野館ほか全国順次公開!
公式サイト: http://www.bitters.co.jp/wadachi/
トルコ・仏・独/2014/196分/カラー/シネマスコープ
【キャスト】
ハルク・ビルギネル(アイドゥン)
メリサ・ソゼン(ニハル)
デメット・アクバァ(ネジラ)
アイベルク・ペクジャン(ヒダーエット)
セルハット・クルッチ(ハムディ)
ネジャット・イシレル(イスマイル)
【スタッフ】
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
脚本:エブル・ジェイラン、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
製作:ゼイネップ・オズバトゥル・アタカン
製作総指揮:セルギ・ウステュン
撮影監督:ギョクハン・ティリヤキ
編集:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、ボラ・ギョクシンギョル
美術:ガムゼ・クシュ
音響編集:トマ・ロベール
提供:ビターズ・エンド、KADOKAWA、サードストリート
配給:ビターズ・エンド
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