古くは日本の鳥獣人物戯画から、現代映画ならクマを例にとれば、ブラックコメディ寄りの『テッド』、愛らしい「無個性」が個性の『パディントン』まで、人間とは自らを他の生物に投影し、擬人化せずにはいられない唯一の動物なのかもしれない。ディズニー・アニメーションは、映画における擬人化の輝かしい成功例のひとつであり、最新作『ズートピア』では、たったひとりの人間のキャラクターも登場させることなく、動物たちによるハイテクな文明社会、ズートピアが描き出されている。
「誰でも夢を叶えられる」という動物たちのユートピア。本作のヒロイン、ウサギのジュディの夢は、タフで体の大きな動物しかなれないとされる警察官になること。正義感にあふれるジュディは、同級生をいじめるキツネにも果敢に立ち向かい、体格やパワーのハンデをものともせず、警察学校を首席で卒業。史上初のウサギの警察官として、田舎町から近未来的なズートピアで、意気揚々と一人暮らしを始める。スイギュウの署長から与えられた駐車違反取り締まりというライトな任務に憤慨しながら、一心不乱にミッションをこなすジュディは、やがてファサードからはうかがい知れなかったズートピアの暗部に足を踏み入れることになる…
擬人化のメリットのひとつに、生身の人間のキャストが演じたら、時代遅れの青春ドラマのように気恥ずかしいテーマや、あまりにも安易に思えるヴィジョンも、ためらうことなくストレートに表現できるという点がある。人間が理解できる言葉で会話をする動物というファンタジーと、動物なのに人間に近いという親近感、微妙な非現実性/現実性のバランスによるものだろう。教訓めいたメッセージも、「説教調」よりも寓話的に伝えることができる。もちろん、それを達成するには、動物たちをいかに造型するかが肝要となるが、その点、『ズートピア』にはディズニーが築き上げてきた技術とノウハウが結集され、大人の観客も見入ってしまう世界が実現されている。年齢や性別の違いにも配慮した50種類の動物たちは、現実におけるそれぞれのサイズに配慮して描かれ(これまでの映画の動物のキャラクターたちは、対人間比のスケールは意識されていたが、動物間の差異は曖昧にされていた)、大型動物とネズミの仲間では、それぞれの体の大きさにあわせた移動手段が準備されている。単に外見がキュートに見えるように、目が大きくデフォルメされているのではなく、動物本来の生態や特性がキャラクター作りに反映されており、主要登場人物だけでなく、免許センターで働くナマケモノのフラッシュや、ツンドラ・タウンの「ゴッド・ファーザー」、ミスター・ビッグなどは、他の追随を許さないインパクトを持ち、破天荒な笑いを誘う存在に仕上がっている。
デジタル視覚効果の「偉業」を見慣れた現代の観客の目には動物の毛を、その質感やボリュームを含めて、ひたすら現実のモデルに似せようと腐心し、素朴なリアリズムとして追究しても物足りない。『ズートピア』は、それぞれの個性が花開くバラエティ豊かなキャラクターに、アニメーション特有の微妙な「さじ加減」のリアリティーを持って命を吹き込みながら、ただ夢をかなえるストレートな想いを謳うだけでなく、サミュエル・フラーの『ショック集団』を想起させるダークなアクセントも交えて、作品世界のビジュアルと造型性に、目を見張る多様性を与えている。どこまでも広く、深い世界。万華鏡のようなきらめきを放ちながら、そこには永遠に陽のあたらない場所とそこに渦巻くエモーションが存在する。それらを描ききる寛容さとユーモア。子供と動物は見る者の涙を搾り取るおなじみの要素だが、『ズートピア』は人間の子供と潔く決別し、人類の「愛すべき病」ともいえる擬人化の新たな可能性を切り開いた。ディズニー・アニメーションの新境地を実感できる一本だ。
ズートピア ZOOTOPIA
2016年 アメリカ映画/カラー/シネスコサイズ/1時間49分
4月23日(土)ロードショー
公式サイト
http://www.disney.co.jp/movie/zootopia.html
【キャスト】
ジュディ・ホップス:ジニファー・グッドウィン
ニック・ワイルド:ジャイソン・ベイトマン
チーフ・ボゴ:イドリス・エルバ
クロウハウザー:ネイト・トランス
ライオンハート市長:J.K. シモンズ
ベルウェザー副市長:ジェニー・スレイト
フィニック:トミー・”タイニー”・リスター
フラッシュ:レイモンド・パーシ
オッタートン婦人:オクタヴィア・スペンサー
ガゼル:シャキーラ
【スタッフ】
監督:バイロン・ハワード、リッチ・ムーア
共同監督:ジャレド・ブッシュ
製作:クラーク・スペンサー
製作総指揮:ジョン・ラセター
音楽:マイケル・ジアッチーノ
プロダクション・デザイン:デヴィッド・ゲッツ
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン